Q&AQ&A

教えは難しくないですか?

 

 崇教眞光では 「生活の中に教えを実践する」 ことが大切だと教えられています。つまり 「生活即神向(信仰)」 ということです。自ら"光の人"となり、"社会の光""地域の光"となるために、現実の日常生活の中で、教えを実践していくことが、神性化(人格の完成)を目標とする私たちの生きた行なのです。
 神様の教えは、たとえば感謝、ス直、心の下座、利他愛といった、とてもシンプルなものです。神様は、人類界が愛和していくことを切望されています。とくに現代においては、人類が互いに協力し合い助け合い、地球環境の危機をはじめ、さまざまな問題を克服していかなくてはなりません。そのために、私たちは自分の与えられた場所、各々の家庭で、職場で、学校で、こうした教えの実践に努め、最善を尽くすことが求められています。
 また、私たちには「手かざし」という眞光の業があります。これは、実際に悩み苦しんでいる人びとを救うことができる奇跡の業です。日々の生活にしっかりと教えを根づかせ、さらに霊的な世界にまでも目を向け、不幸の原因を解消していく。そうして、幸せな人生を歩むことができる世界=天国世界を築く。そこに崇教眞光の本質があるのです。

手かざしで「光」を受けると、どういうことが起きるのですか?
 生活のあらゆる面で、よい変化が起きてきます。
 たとえば、病気に苦しんでいる人の多くが回復に向かいます。重い慢性病も、薄紙をはがすように徐々に快癒していき、本来の生命力を取り戻していく様子がみられます。
 経済的に苦しんでいる人は、いつのまにか暮らしが楽になっていきます。職場の人間関係、会社やお店の経営など、これまで思うようにいかなかったことが順調になります。
 夫婦・親子が断絶して波風が絶えなかった家庭は理解し合えるようになり、不登校、いじめ、学校や家庭内の暴力、青少年の非行犯罪などの教育問題も、解決へと進みます。
 手かざしは、人だけでなく、何にでもできます。手をかざすことによって、死にかけた動物が蘇ったり、動かなくなった機械が動き出したり、作物がぐんぐん生長したり、常識では考えられないことが次々と起きます。同じ災害にあっても、手かざしをしている田畑や家屋などは被害をあまり受けないということもあるのです。
 手かざしを続けていくことが幸せへの近道です。
手かざしができるようになるには、どんな修行がいるのでしょうか?
 特別な修行は不要です。ただ、神の光があふれる会場 (道場といいます) で、三日間の研修 (講義) を受講するだけでいいのです。初めは信じられないかもしれませんが、研修を受けて"御み霊"を授かり、手をかざすと、奇跡のような現象がどんどん起きてきます。
 昔の聖者や高僧の方々も奇跡を起こしましたが、それができるようになるまでには、何十年という厳しい修行が必要でした。それがなぜわずか三日間でできるようになるかというと、ご存知のように、今、人類界が大変な時期にさしかかっているからです。物質文明は行き詰まり、このままでは人類共滅の危機も避けられない逼迫した状況となっています。長い修行期間をかけていてはとても間に合いません。そこで神様は、岡田光玉師を通して、人類界を救うために「眞光の業」を人類にお与えくださったのです。老若男女、宗門宗派、人種、国境の区別なく、求める人は誰でも、三日間の研修受講と御み霊拝受で、奇跡の業ができるようになります。
先祖供養について教えてください。
 今の私たちの存在は、両親、祖父母、ご先祖様あってのものです。ですから、先祖への感謝の表れとして供養するのは、子孫としての当然の務めといえるでしょう。
 神様を信仰しているのに、どうして先祖を祀るのかと、疑問に思う方もいるかもしれません。もちろん、神様のお祀りは第一に重要です。というのは、私たちは先祖を通して、究極は神様につながっているからです。
 私たちに守護霊を付き添わせてくださるという仕組みも神様がなさることです。たとえば、ある人に四六時中付き添っている守護霊のほとんどが、その人の先祖の代表者だといわれます。私たちは一人で生活しているようで、実はそうではないのです。だからこそ、神様とご先祖様への感謝の心を表すためにも先祖供養は必要なのです。
 ただ、祀り方にもルールがあります。
 神界には宗門宗派はありません。もちろん霊界にもありません。霊界には「霊界の法則」というものがあり、霊界に行った先祖を祀るには、それに則った祀り方をしなければならないのです。たとえば、うちは分家だから祀らなくていいとか、先祖からの宗旨で祀っているから大丈夫と思っても、その祀り方が間違っている場合もあります。
 先祖を祀る上で一番大切なのは、子孫が善徳を積むことですが、それに加えて各家庭で「位牌」を作って「食事を供える」ということです。先祖は、位牌を通して、子孫の供えた食物の供養を受け、ひもじい思いをせずにいられるのです。自分が先祖と、そして神様とつながっていることを認識した上で、先祖をきちんとお祀りすることが大切です。

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