崇教眞光では 「生活の中に教えを実践する」 ことが大切だと教えられています。つまり 「生活即神向(信仰)」 ということです。自ら"光の人"となり、"社会の光""地域の光"となるために、現実の日常生活の中で、教えを実践していくことが、神性化(人格の完成)を目標とする私たちの生きた行なのです。
神様の教えは、たとえば感謝、ス直、心の下座、利他愛といった、とてもシンプルなものです。神様は、人類界が愛和していくことを切望されています。とくに現代においては、人類が互いに協力し合い助け合い、地球環境の危機をはじめ、さまざまな問題を克服していかなくてはなりません。そのために、私たちは自分の与えられた場所、各々の家庭で、職場で、学校で、こうした教えの実践に努め、最善を尽くすことが求められています。
また、私たちには「手かざし」という眞光の業があります。これは、実際に悩み苦しんでいる人びとを救うことができる奇跡の業です。日々の生活にしっかりと教えを根づかせ、さらに霊的な世界にまでも目を向け、不幸の原因を解消していく。そうして、幸せな人生を歩むことができる世界=天国世界を築く。そこに崇教眞光の本質があるのです。